「初恋の嵐」きっかけで知った「アナログフィッシュ(Analogfish)」というバンド
「初恋の嵐」というバンドをフジロックきっかけで出会ったことを前回の記事で書きましたが、そのつながりで「アナログフィッシュ(Analogfish)」というバンドとも出会いました。
「初恋の嵐」は中心メンバーだった西山達郎氏を亡くしてからゲストボーカルを迎えてライブを行っていますが、その中で佐々木健太郎氏がボーカルをしていたライブがあります。はっきり歌う人で、聴いていて気持ちいいなぁと思いよくよく調べるとアナログフィッシュのボーカル&ベースということが分かります。
アナログフィッシュは佐々木健太郎氏のほかに、ボーカル&ギターの下岡晃氏、コーラス&ドラムの斉藤州一郎氏のメンバーからなるスリーピースバンドです。当然のごとくの音源を聴いたのですが、最初に聴いたのは「PHASE」という曲です。「PHASE」は下岡晃氏がリードボーカルをとる曲で、ベースとドラムだけで前半は進行するのが印象的で、一気にアナログフィッシュにハマりました。
最近だとYakisobaという曲です。曲名の通り「Yakisoba=焼きそば」なので、MVも焼きそばを作っている様子だったり、歌詞も焼きそばに関するものだったりと、一見するとロックバンドとは思えないかもしれませんが、何気ない中の幸せを表現していて(勝手にそう思っている)、メロディーも美しく名曲です。まぎれもなくロックです。このバンドもいつかライブを見たいです。できれば自然あふれるフジロックのステージで見られると最高だなと思います。
もちろんアナログフィッシュのオフィシャルHPがあるので、気になった人はぜひ。
フジロックきっかけで知った「初恋の嵐」というバンド
フジロックの魅力のひとつに、これまで知らなかったバンドやアーティストと出会えるということがあります。最近だと2022年のフジロックきっかけで知った「初恋の嵐」というバンドです。
そう書くと「初恋の嵐」がフジロックに出演したと勘違いされそうですが、出演はしていません。なぜならボーカル&ギターで作詞・作曲していた西山達郎が2002年に亡くなっているからです。
そんな「初恋に嵐」をなぜフジロックきっかけで知ったのか。私自身、2022年のフジロックには行っていませんが、当然のごとくラインナップのチェックはしていました。その中でルースターズのドラマー、池畑潤二が率いるROUTE 17 Rock'n'Roll ORCHESTRA (ルート・セブンティーン・ロックン・ロール・オーケストラ)のメンバーに隅倉弘至という名前が入っていました。知らなかったので調べてみると「初恋の嵐」のベーシストであることが分かります。初耳の上に、名前のインパクトが強いので気になって調べて聞いてみたら、たちまちハマりました。
詩の世界観、言い回し、なんかフックのあるメロディー、声質など、これまで聴いたことのない感じだったのが理由です。知ってから一年近く経ちますが、聴かない日はないくらいの勢いです。メジャーデビュー直前に西山氏が急性心不全で急逝しているため、音源自体はそこまで多くありませんが、
・初恋に捧ぐ
・touch
・真夏の夜の事
・Good-bye
・Untitled
などなど、どの曲も個人的には好きです。
フェスなどでゲストボーカルを迎えて不定期でライブをすることもあるようなので、機会があればぜひ見たいバンドの一つです。
「初恋の嵐」のオフィシャルHPがあるので、気になった人はぜひ。
第一回フジロック(1997年)に行った時の話02
各バンドのライブ評は専門家に任せるとして、会場の様子を伝えていきます。
ライブの様子
まず開場直後ですが、走って最前列をキープする人たちが多数いて、しかもシートを敷いて最前列に陣取っていました。小さな箱であっても最前列はやばいのに、こんなでかい会場で最前列に陣取って、最後までもつのか? と思っていたのですが、案の定、開始直後にシートはぐちゃぐちゃになっていました。なんならその人たちの何人かは圧迫に耐えきれず、セキュリティスタッフに救出されていたように思います。
開園後ほどなく雨が降り始めたような記憶があるので、当然ながら気温も体温も落ちていきます。なので、ステージ前方に行ってモッシュに加わることで体温を上げていましたが、ずっと前方にいるとヘッドライナーのレッチリまではとても体力が持たないので、後方でゆっくり見るターンと前方で暴れるターンを繰り返していました。
いろいろなモノが飛んでくる
メインステージの中盤にあたる、THE HIGH-LOWS(ザ・ハイロウズ)、FOO FIGHTERS(フー・ファイターズ)の時も前方のモッシュに加わっていたのですが、その頃になると悪天候のことはどうでもよくなって、妙にテンションも上がっていたと思います。これは会場にいたほとんどの人がそうだったはずです。
なにせ前方で暴れていると、いろいろな物が後ろから飛んできます。ペットボトルやカッパ、毛布に寝袋なども飛んできます。ちなみに寝袋が直撃したのですが、結構な衝撃です。
なぜ毛布もあるかというと、あまりの天候の悪化から運営側で配っていたからです。たぶん。しかし雨は強く降り続け、雨を吸った毛布はどんどん重くて邪魔になるため、あらゆる場所に投げ捨てられていたと思います。
先に書いたようにライブ中も飛んでくるので、モッシュエリアは泥でぐちゃぐちゃな上に、毛布をはじめいろいろなモノが転がっており、非常に不安定でした。
セカンドステージもあったらしい
当時はまったく気付いていないというか、行く気がなかったのか、忘れていたのか記憶が曖昧ですが、セカンドステージもありました。ラインナップは以下の通り。
・BLACK BOTTOM BRASS BAND
・ズボンズ
・GIRLS AGAINST BOYS
・THE MAD CAPSULE MARKET'S
・ボアダムズ
・ATARI TEENAGE RIOT
・電気グルーヴ
・APHEX TWIN
もはやどこにステージがあったのかすらも覚えていませんが、時代を感じるバンドもいたり、現在も活躍しているバンドもいたり、今振り返るとセカンドステージもかなり豪華なラインナップです。
そういえば飯のことは全然覚えていません。
今でこそフジロックといえばフェス飯が楽しめることで有名ですが、記憶にないということはそんなに規模は大きくなかったのか、それ以外のインパクトが大きかったのか。
開演から終演までびっちりいたので何も食べていないということは絶対にないはずですが、本当に覚えていません。
これ以上書くと長くなるので、
続きは第一回フジロック(1997年)に行ってきた話03(近日公開)にて。
第一回フジロック(1997年)に行った時の話01
開演前
いよいよ迎えた第一回目のフジロック。台風が直撃したことでひどい状況に陥り、伝説と言われています。
会場は山梨県の富士天神山スキー場(現:ふじてんスノーリゾート)という場所です。
親友と二人、当時住んでいた東京から電車で大月駅に向かい、これまた当時山梨に住んでいた同級生に迎えに来てもらい、そのまま彼の家に前泊。当日はその同級生に会場入口まで車で送ってもらいました。
会場の印象は、現在のフジロックとは違い、なんとなくさっぱりした感じです。もちろん私も含め、参加したほとんどの人が野外、しかもスキー場でのフェスなんてはじめてです。1日目の開催日は7月26日。当然ながらTシャツやハーフパンツなどの軽装です。今なら寒くなったら羽織るシャツやレインウェアも持っていくのは常識ですが、当時はそんな考えは全くありません。夏だし、初めてだからです。
台風が近づいていることくらいは把握していましたが、濡れるくらいだからあんまり心配はしていませんでした。たぶんこれは参加者のほとんどが同じ考えだったはずです。だからこそあんな状況になったのだと思います。
いよいよスタート!
スタート時間は忘れましたが、メインステージの一組目Southern Culture On The Skidsが音を鳴らした瞬間、一気に会場のボルテージは上がり、すぐにダイブやモッシュが始まります。以下、各バンドの一言レビューです。
Southern Culture On The Skids(サザン・カルチャー・オン・ザ・スキッズ)
一発目にふさわしく、ノリがよく最高。
SUMMERCANP(サマーキャンプ)
さわやか。
THIRD EYE BLIND(サード・アイ・ブラインド)
当たり前だけど演奏が上手かった。
THE HIGH-LOWS(ザ・ハイロウズ)
モッシュで死にそうになった。
FOO FIGHTERS(フー・ファイターズ)
引き続きモッシュで死にそうになった。
RAGE AGAINST THE MACHINE(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)
このタイミングで見られたのはラッキー。
THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー)
LOVE LOVE SHOW見られた。
RED HOT CHILI PEPPERS(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)
最強!
まだまだ書きたいことはありますが、長くなりすぎるので何回かに分けます。
続きは第一回フジロック(1997年)に行ってきた話02にて。
フジロックとの出会い
フジロックフェスティバルことフジロックにはじめて行ったのは、忘れもしない1997年の1回目のこと。すでに25年以上前のことですが、いまだに鮮明に覚えています。それほど自分の人生に影響を与えた出来事です。
フジロックのことを知ったのは洋楽雑誌のrockin'on(ロッキング・オン)の紙面広告。当時はネットも発達していなく、洋楽情報を得るためにrockin'onや休刊となった懐かしきCROSSBEAT(クロスビート)などの雑誌が中心でした。
隅から隅まで読んで情報を仕入れ、新譜レビューを参考に熟考を重ね、まだ学生だった自分にとってなけなしのお金でCD一枚を購入していました。
少し話が逸れましたが、rockin'onを求めに書店に行き、買う前にパラパラとページをめくっていた時にフジロック開催の広告を見て衝撃を受けたのです。
なぜそれほど衝撃を受けたのか? それはレッド・ホット・チリ・ペッパーズ(通称レッチリ)の文字が目に飛び込んだからです。
また話が逸れますが、中学生時代に5枚目のアルバムBlood Sugar Sex Magik(ブラッドシュガーセックスマジック)を手にして以来、ずっと好きです。長くなりすぎるので、レッチリに関してはまた別のテーマにて書こうと思います。
とにかく、こんなに早くレッチリを見られるチャンスが到来するとは微塵も思っておらず、事前情報なしにフジロックの広告を見たため衝撃を受けたわけです。
rockin'onを手にして帰り、さっそくレッチリ好きの地元の親友に電話。一緒に行く約束をして、発売日にチケットを購入しました。そこからフジロックまでの期間は心ここにあらずといった感じで過ごし、いよいよ行く日を迎えます。
これがフジロックとの出会いです。